2017年1月17日

心と思いが、神の平安で守られるために!

 

 

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって捧げる祈と願いによって、

あなたがたの願い事を神にしっていただきなさい。

そうすれば、人のすべてにまさる神の平安が、

あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ピリピ人への手紙 4章6~7節

  

人間は、みな思い煩います。ペテロは、自分が書いた手紙の中で「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。」と勧めています。つまり、人はみな思い煩うことは当然であることを前提にして、以上のように命じているのです。ですから、あなたが思い煩ったからといって、人間としてノーマルであることは言うまでもありません。

 

パウロは、私たちは思い煩う瞬間はあることを認めた上で、思い煩いの海原の中に沈んで行かないために、逆に、心と思いに平和を得るために、次のようにアドバイスしています。

 

1)まずキリストだけが理由で、神の御前に出られることを感謝しなさい。

2)神と話し合う中で、「何をどうして欲しいのか」を明らかにしなさい。

3)そして、あなたの思い煩いを「こうして欲しいです。」と願いなさい。

 

そうすれば、神の平安が、あなたと私の心と思いを守るというのが、神の約束です。

 

1)まずキリストのおかげで、神の御前に出られることを感謝しなさい。

思い煩っているときに、感謝をすることは困難です。しかし、どんなときでも神の御前に出られることを感謝することはできます。

 

なぜなら、神が私たちをあわれんでくださったからです。私とあなたは永遠に神の御前に出ることができない者でした。それは、私たちが自分勝手だからです。私たちが、自分勝手な善悪の基準にこだわって生きるときに、神の完全な善悪の基準からは外れているのです。神は、赦しなさい、愛しなさいと言われますが、私たちは、神が願われているように神に従うことはありません。そのような私たちの見当外れの生き方に対して、神は怒っておられるのです。そんな私たちは、神の御前で何かを頼めるどころか、御前に出ることすらできません。

 

聖書は一貫して、神があなたを愛する子どもとして永遠に引き寄せたいと言っています。しかし一方で、あなたが見当違いによって犯して来た態度や言動に対しては、神は怒りを発しておられるとも言っています。この矛盾から、私たち人間を救うために、神は御子イエスを十字架に遣わされたのです。

 

キリストが、十字架の上で、神の怒りをなだめるために供え物となられたのです。そして、完全に神の怒りをなだめてくださいました。私たちは、神の愛する子どもとして安心して神の御前に出ることができるのです。そこに神の愛があるのです。

 

このような神の愛に触れるとき、私たちはどんな状況でも感謝することができます。パウロは、キリストの福音を宣べ伝えたゆえに牢獄に入れられていました。彼は、そのような環境でも神に感謝をささげてから、祈ることができたのです。

 

私たちも、キリストの十字架の愛を思うとき、どんなときでも感謝を捧げるときができます。神の愛する子どもとして、私たちが神の御前に安心して出るために、神はひとり子さえも惜しまずに死に渡してくださったのです。この父なる神に感謝して祈りを始めめることは、どんな状況でもできるのです。

 

2)神と話し合う中で、「何をどうして欲しいのか」を明らかにしなさい。

私たちが思い煩っているときには、自分の考えがまとまらないのは私だけでしょうか。何を、どこから、どのように考えたらよいのかさえも分からないことが、しばしばあります。

 

そんなときでさえ、神は助けてくださいます。パウロは、次のように書いています。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8:26)

 

つまり、祈り方でさえ分からないけれど、いったん祈り始めると信仰者の内側に住んでおられる聖霊が、神との対話を助けてくださるというのです。そして、祈る者の内側でうめいてくださり、何をどのように考えたら良いのかも、何をどのように願ったらよいかも教えてくださるのです。

ローマ人への手紙の8章27節で、パウロは次のように続けています。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

つまり、祈り始めると、聖霊が私たちの思いを助けてくださり、神の心と調和した願いは何かを理解させてくださるのです。何をどのように願えばよいかを神は私たちの心に教えてられます。そして、それを願うことを神は待っておられるのです。

 

3)そして、あなたの思い煩いを「こうして欲しいです。」と願いなさい。

パウロは、ピリピに住むクリスチャンに向けて書いた手紙の中で、【祈り】と【願い】を明確に分けています。祈るだけではなく、願いなさいと勧めているのです。

祈る中で、聖霊があなたの祈りを助けてくださり、神の願いと調和した願い、つまり、何をどのようにして欲しいかも明らかにしてくださいます。その願いを、祈りの中で「こうして欲しいです」と、神に願うのです。

 

そうすれば、人のすべてにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

あなたのために祈っています。 

ジーザスコミュニティ国分寺

牧仕:桜井 知主夫